上海万博を来春にひかえて・・・
上海万博は2010年5月1日から6カ月間開催され、200の国・地域・組織の参加があるようです。見込まれる来場者は延べ7000万人。万博史上かつてない規模だそうで、北京オリンピックは行けなかった日本人も相当数が訪れることになると思います、かく言う私も。

当然市内も開発に次ぐ、開発。上の写真は浦西地区(黄浦江河の西)で最も目抜きの通り准海中路ですが、一歩裏に入れば下の写真のような古い住居地区のスクラップが進んでいました。


万博までに右手看板のようなマンションが立ち上がるのでしょうか。ところで日本の場合ですが、戦後東京の道路を始めとするインフラが一変したのが1964年の東京オリンピックでした。当時国家予算が1兆4千億円の時に、オリンピックのための関連事業費として費やされたのが1兆円だそうです。それに比べれば今回の上海万博は民間の開発が比率的には大きいので、国家的大事業という雰囲気はありませんでした。それだけ中国経済が巨大になったと言えます。

国際服装服飾センターも経営する上海ファッション協会
帰りに上海に寄ったのは、上海国際家具見本市をのぞくことと上海市の商務委員会にうかがうためでした。また中国に下請け工場視察に来ていた名古屋の絞り組合と一緒に、上海ファッション協会に訪問もしました。ファッション協会の手配して下さったのは、上海在住のJETRO専門家で協会理事でもある松尾さん。小中学校を上海で過ごし陸上で活躍した松尾さんは、子供時代からの友人関係から得られる幅広い情報が仕事の上でも大変役立っていると言います。上海のインサイド・ストーリーが語れる数少ない日本人の一人です。

上海ファッション協会は上海でのショーや見本市の運営を主たる仕事としています。従ってメーカーサイドのことはあまりうかがえなかったのですが、単副秘書長は伝統工芸をファッションに取り入れたショーのことを話してくれました。ここ中国でも伝統工芸技術が継承されないことと、その衰退が問題とされていました。写真は広州のつづれ織りのような織物技術を残そうと試作されたバッグです。出口が見えていないのは日本の伝統産業の産地と同じでした。
ところで同じ日の午後、松尾さんからも上海経済の面で圧倒的な権限を持っていると聞いていた上海の商務委員会を訪ねました。すると現れたのは妙齢の女性官僚、金穎さん。突然のアポイントメントだったためとお忙しかったこともありますが、ともかくてきぱきと話を進められる。「それで・・?それで・・・?」というように、具体的な事業内容や規模が見えてこないと話にならない。北京が国家の体系を語るところならば、上海は完全に形而下のマネーの世界のように見えました。それが日本の80年代後半のように渦を巻いて回っているのでしょう。

商務委員会は上海の西、虹橋空港に近いところに 右の女性の方が金穎副処長
商業開発で世界的に有名になったのは「新天地」です。古い工場後を香港の瑞安グループがUS1.5億ドルをかけて、面積3万平米で総建築面積6万平米の商業地区に再開発。2001年にスタートし、お洒落な飲食店を中心としてショップが並びます。以前来た時はかなり上海市民も物見高くやってきていたのですが、今はほとんどが外国観光客で占められていました。

それに変わって、ほど遠くない「田子坊」はもっと気安く来れる場所として市民の間に人気を得ているようでした。1998年に地区政府の再開発計画によって、北京の「798廠」のように多くのアーティスト達が古工場や倉庫を改造してアトリエを構えるようになり、その後そういったギャラリーやショップだけでなく、この数年は急激にカフェなど飲食店も増えてきたようです。



ちょっと裏原宿のような感じです。手作りのファッション商品が手頃値段で買える、若者にとって居心地良さそうなエリアでした。ここで感じるのは新天地はシンガポールっぽいけれど、田子坊は完全に中国だなということ。手仕事に対する愛着がまだ見られるのです。
(船曳 鴻紅)