« 2009年05月 | メイン | 2010年01月 »

2009年09月 アーカイブ

2009年09月22日

2009年9月 秋のメゾン・エ・オブジェ

メゾン・エ・オブジェに年2回出展することの意味は?
sozo_comm事業は、先月今年度の参加各社が選定され、いよいよ平成21年度の海外見本市プロモーションが開始されています。そこで来年早々出展するパリのメゾン・エ・オブジェの秋の見本市を視察してきました。

基本的にメゾン・エ・オブジェは9月は年末に向けてのクリスマス・ギフト商戦、1月はカーテン(エディトゥ-ル)と家具(サロン・ド・ムーブル)が加わったインテリアが主力となっています。しかし毎回出展している島村卓実さんによれば、9月と1月のメゾン・エ・オブジェは表裏一体の関係にあります。例えば島村さんの場合、1月は新製品のプロトタイプを持ち込んでバイヤーの反応を見る。その後引き合いの数が多い製品に絞って量産体制を夏までに作り上げ、9月は実際に受注して稲を刈り取る、ということでした。そのようにメゾン・エ・オブジェ常連組は、単に年2回同じ場所でバイヤーに会うということだけでなく、1年を通して出展を戦略的に組み立てているわけです。またメゾン・エ・オブジェの主催者であるSAFI側から言えば、1月だけ、9月だけ、という出展者はスペースの配分に苦慮するだけ厄介者となります。そこで出展者は、年2回の出展がロケーションの確保のためにも必要と考えています。多少2回の内どちらかのスペースを小さくして節約したとしても。

今年1月のメゾン・エ・オブジェでは、暴風雨によってテントのホール(5Cと7の一部)が大被害を受け、今後安全のため使用されないことになりました。新たなホール8が完成するまでそれらのホールの分をどこかで吸収しなければならなくなり、メゾン・エ・オブジェの展示スペース配分は大変難しくなります。しかも、1月の見本市にしか出展しないsozo_commブースはかなり不利になるはず。そこでフランス見本市協会日本代表の岡山道子さんにお願いして、会期中に何とかエティエンヌ・コシェSAFI代表にお目にかかり、日本のブースの出展場所確保をお願いすることにしました。コシェ氏を始めミヨ氏、ブジャール氏といった経営陣の面々は、見本市開催中は分単位で動く過密なスケジュールに縛られている上、頼る岡山さん自身も同時期にパリ南のポルト・ド・ベルサイユで開催される服飾見本市の面倒もみる超多忙な時でしたが、何とか3氏にご挨拶することができました。コシェ氏達の岡山さんに対する信望の厚さによるもので、感謝!です。

2009%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%82%A7%E6%B0%8F%E3%81%A8.jpg
エティエンヌ・コシェ氏とLe CLUBで面談

SAFIはメゾン・エ・オブジェへの出展者を独自の視点で選びます。企業の規模よりは、展示商品がメゾン&オブジェの各ホールのコンセプトに合うかどうか、さらに出展してビジネスに結びつけられるかどうかが重要なポイントとなります。昨年もそうでしたが、今年もsozo_comm選定企業とその商品を提示して了解を求めました。sozo_commの選定基準には、商品の良し悪しだけでなく、企業自身の市場開拓力も入っており、いずれの企業も問題なくパスしたと思います。もちろんsozo_commブースについては、今年と同じくホール6に出展できることと信じています。

2009年9月4~8日パリ・ノール M&O見本市会場
2009M%26O1.jpg

メゾン・エ・オブジェのパリ・ノール会場は放射線状に各ホールが構成されていて、いかにもフランス的な設計です。秋の出展構成は、左からホール1(エスニック)、ホール2(テキスタイル)、ホール3(テーブルウエア)、ホール4・5A(インテリア)、ホール5B(ナウ!プロジェ)、ホール6(インテリア雑貨)でした。日本企業の出展数は冬にくらべて秋の方が数が限られています。(単年度執行の補助金事業を利用している事業の場合、9月は早すぎて間に合わないからです)
その中でいくつかをご紹介します。

2009M%26O%E5%8F%8C%E8%91%89.jpg
ホール1 "エスニック"に出展の二葉苑
今年度のsozo_commにも参加している「二葉苑」の小林元文社長は、家業を継ぐ前は旅行代理店に勤めて、得意の英語を使いトルコやインドを担当してきた方です。それだけに周囲の外国ブースともすぐにうち解け、まだ2回目のメゾン&オブジェ出展にも関わらず、確かな手応えを得始めていました。小林社長の横に並ぶのは、「杉原和紙」でもデザインをしている、パリ在住のドイツ人、ヨルグ・ゲスナー氏。今回小林氏からブースのデザインを依頼され、和紙とDYショップで仕入れたパーツを素材に、きわめてコスト・パフォーマンスの良いブースを作り上げていました。何より彼一人で手作りしてしまうのですから、本当に頼りになる助っ人です。


%E5%B2%90%E9%98%9C%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88.jpg
ホール1 岐阜のクラフトショップ
同じくホール1には、冬のメゾン・エ・オブジェにREMIX JAPANとして出展している岐阜のブースの運営に関わっていた日本人女性2人が「紙インテリア」というブースを初めて出していました。岐阜県の支援もあり、和紙照明、美濃焼、春慶塗といった県内産品を扱っていますが、今後はパリに小さい店を出して岐阜以外のものも扱っていきたいと抱負を語ってくれました。


%E5%86%85%E9%87%8E%E3%82%BF%E3%82%AA%E3%83%AB1.jpg
ホール2 "テキスタイル" 内野タオル
日本勢の中でも際立った動きをしていたのが、内野タオルでした。今回がまだ3回目であるにも関わらず、ホール2のきわめて良い場所に三面開口で出展。昨年の1回目はホール2の奥深く、今年初めの2回目もそこから遠くない地味な立地であったことを考えると、大進出です。周囲のブースからは、袖の下をつかったんじゃないかと邪推されたと、フランス代表の加藤文二さんは笑っておられましたが、実際は今年1月の出展でジャーナリストによるLes Decouvertes(発見)賞*を受賞し、主催者側に好印象を与えていたためでした。メディア対策というのが単なる広報以上の意味をもつ好例です。因みにsozo_commではチクノライフがCoups de Coeur(一目惚れ)賞*を受賞しています。*会期中に有名デザイン誌がセレクションする2賞


2009M%26O%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2.jpg
ホール2 イタリアのテキスタイル・ブース
丁度内野タオルの隣にはイタリアの繊維メーカー十数社がグループ出展していました。1社1社が商談できる小机が置けるスペースが確保されていました。並べられたタオルやバスローブなどはため息の出るほどゴージャスなものです。


%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA.jpg

2009M%26O%E8%8C%B6%E5%99%A8.jpg
ホール3 "テーブルウエア"
隣のホール3には陶磁器メーカーの大手が目白押ししています。「リチャードジノリ」は、4月のミラノ・デザインウイークの時にトルトーナ地区で行った展示会のコンパクト版を展開していましたが、スタイリッシュ過ぎたのかバイヤーの数はまばらでした。高級紅茶で日本のマダムにも名前が知られる「マリアージュ・フレール」も、最近発売し始めた日本茶のためにオリエンタルテイストの茶器セットを売り出していました。


5A%20%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2.jpg
ホール5A イタリアのブース
家具なども一部入ってくるインテリアのホール5Aでは、イタリアの4社がこちらも共同ブースを出していました。ホール2と同様、産地組合の出展ですが、まとまって出ることはインパクトの面でもコストの面でも効果があります。JETROの展示事業部によるジャパンブースはニューヨークなどでは固まっての出展をしているのですが、メゾン・エ・オブジェではなぜかバラバラ。1月は各ブースが横町のように並ぶJAPAN小路を作ってもいますが、出展者同士の呼吸があっていなかったという印象がありました。


2009M%26O%E5%B3%B6%E6%9D%91.jpg
ホール5B "now!"
now!の常連となった島村卓実さんのブースです。今回は少し小さめでも出展をはたしておいて、次回はガンと大きく出展の予定とのことです。


2009M%26O%E7%85%A7%E6%98%8E%E5%AE%B6.jpg
その島村さんに紹介してもらったフランス人のクラフトデザイナーですが、手作りの和紙照明をとてもリーズナブルな価格で提供するということで人気を集めていました。彼女は子供の頃日本に住んで和紙に興味を持ち、フランスに戻ってからクラフト作家として製品を作り始めたのですが、需要に供給が追いつかない。そこで周りの家庭の主婦達に作り方を教えて内職として手伝い始めてもらったのです。もともと和紙の貼り合わせなどに頓着しない手作り感を売りにしていたので、シロウトが作ったものでも十分商品となる。日本の工芸の行き方とは全く違いますが、こんな世界もあるのです。


プリスクリプターとは・・
%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3.jpg
メゾン&オブジェのバイヤー向けサイン

プリスクリプター(プレスクリプトゥール)とは、建築家・インテリアデザイナーやディベロッパーといった開発物件がらみのバイヤーのことです。すぐにバイイングにつながらずとも、いずれ物件が入った時に大口のコントラクトが期待できる層だと言えます。メゾン・エ・オブジェでは、各ブースサインの中には、こんなバイヤー向け表示が書かれていたりします。この写真のでは2つ書かれていて、右がプレスクリプトゥール向き、左はミュージアムショップのバイヤー向き、を示しています。


%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB.jpg
ホール5B "プロジェ"
日本でまだあまり知られていないコントラクト市場向けのプロジェというゾーンです。メゾン・エ・オブジェを主催するSAFIが新規開拓している部門で、細かい商談ではなく文字通りプロジェクト単位の大口需要を狙うものです。見本市側からすれば、世界の大手流通が中国で直接生産するプライベートブランド(PB)の時代に、従来のような小物雑貨を置いているだけでは国際見本市として小粒になりかねないと、力を注ごうとしているのだと思います。建材、壁・床材の他に家具や照明も出ています。SAFIがこの分野にいかに力を入れているかは、特別にプリスクリプター向けのガイド冊子を作っていることでも分かります。


%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%96.jpg
今回のホール6の様子
来年1月、このホールにJAPANブースが出現します。今後も準備を含め、sozo_commサイトで進捗状況を報告していきますので、ぜひ応援してください。

(船曳 鴻紅)

2009年09月23日

北京と上海という全く異なる街で(1)

北京オリンピックから1年経って・・・

パリのメゾン・エ・オブジェへの往きの旅程を北京に、復りを上海にとりました。一度に両都市を観るのは初めてなので、今回この中国を代表する2都市の違いを肌で感じとることができました。それぞれ市の行政の中核と思われる部署を訪問させていただいたので、ご紹介したいと思います。

まず北京では、商務部(日本の経産省に相当する)アジア局呂克倹局長にお目にかかる予定でしたが、呂局長のスケジュール変更で尹商務第1秘書とお会いすることになりました(中国では直前のキャンセルが結構あると聞いていたので違和感はないです)。尹さんは日本の官僚以上にスマートで意外なほどのソフトな語り口でした。おそらくアメリカかイギリスへの留学組だと思いますが、呂局長の方は日本に7~8年おられたとのことで日本語が大変流暢だそうです。ある年齢を境にして、日本語派、英語派と分かれているようです。

%E5%95%86%E5%8B%99%E5%B1%80%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E9%83%A8.jpg
中国商務局 尹剛商務第1秘書(アジア担当)

%E5%8C%97%E4%BA%AC2.jpg
北京市工業促進局 陳世傑処長

商務局担当官とは日本デザインコンサルタント協会*の紹介を始めとして、デザインと産業の関わりをごく一般的に話しただけですが、次にうかがった北京市工業促進局では、陳処長から北京市の今後の発展のためにデザインをどう活かしていったらよいのだろうと質問を受けました。現在街の中心部にあった工場を郊外に移転させていて、跡地開発が次々と課題としてあがってきているようです。そこで世界的にも有名になっている798廠の続きにあるデザイン開発区751 D.Parkを訪問することにしました。
*一般社団法人日本デザインコンサルタント協会として、58名の会員がデザイン・コンサルティングを行うことで日本の産業に活力を与えようと活動しています。
http://www.design-consul.net

%E5%8C%97%E4%BA%AC3.jpg

%E5%8C%97%E4%BA%AC4.jpg

798%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%8B%A5%E8%80%85.jpg

「798廠」は、1950年代に建てられた巨大な国営工場が営業不振で操業を停止した後、廃屋となった工場の建物に1990年代からアーティストが自分のアトリエを開き始めて発展しました。今やギャラリーやショップが100以上もあるといわれ、北京市民というよりはデザイン好きな若者達が全国から観光をしに来る、青山・代官山状況になっています。

%E5%8C%97%E4%BA%AC5.jpg
UCCA
中でも存在感があるのは近年オープンした「UCCA」ギャラリーで、オーナーはベルギーのユーランス夫妻。1500あまりの中国アートを収蔵する、世界でも有数の中国アートコレクターといわれています。私のアメリカの友人も1980年代後半から中国アートをコレクションしていましたが、アート・バブルがはじけたとは言え、今では相当な資産ではないかと思います。

%E5%8C%97%E4%BA%AC6.jpg

その「798廠」に隣接するのが、ガスや石炭のエネルギー工場があった「751」です。2006年から開発が始まり「D.Park」と名付けられ、北京市としては今後ここにデザイン事務所、関連ギャラリー、展示会場などを集約させて、デザイン産業の起爆剤としたいようです。アートの方は、どこまでいってもギャラリー・ビジネスを越えられませんが、デザインは産業開発に直結するだけに北京市も今後相当の投資を行っていくのではないかと思われました。

Dpark2.jpg

そのほんの一部分ですが、ここはインテリアデザイン事務所とギャラリーが数社まとまって入居している建物。左手建物の1階がイタリアデザイン家具のギャラリー・ショップ、2階がデザイン事務所とテキスタイル・ショップ、地階が中国のコンテンポラリー家具ギャラリーとなっています。

Dpark4.jpg

Dpark3.jpg

家具ギャラリーには、中国最先端のデザインが並びます。中国デザイナーのコンテンポラリーデザインには二つの流れがあって、イタリアン・コンテンポラリーへの傾斜(写真上)と中国ネオ・クラシック(写真下)との2傾向です。

Dpark5.jpg

2階にあるテキスタイル・ショップでは中国メーカーのサンプル帳に混じって、ヨーロッパの高級ブランドのサンプル帳も入っていました。奥に各種ファブリックスが巻き状態で置いてあって、注文するとすぐに左に並ぶミシンで縫製してくれます。

Dpark6.jpg
北京杉杉玫瑰黛薇服装有限公司
D.Parkの中で最大面積のデザイン企業はRoseW fashion Co.でした。もともとチャイナ服メーカーですが、今はそれより欧米風の装い、特にパーティ・ドレスにシフトしています。しかしこの何年かの間はアート産業の方が実入りが良かったのでしょうか、2階の大部分は専ら現代アートのギャラリーと化していました。


わずか中1日の駆け足視察にも関わらずこれだけのスケジュールを組むことができたのは、三菱東京UFJ(MUFG)中国銀行のご協力があったからでした。柳岡頭取が日本の中小製造メーカーのこれからを探ることに理解を示して下さったのです。因みに中国MUFGは外資としては香港上海バンクに次ぐ大手銀行だそうです。東京銀行としての長年の実績が、人的信頼がとても重要な中国において確実に生かされています。アレンジをして下さり、かつ丸一日お付き合い下さいました糸井部長、石さん、本当に有り難うございました。

%E5%8C%97%E4%BA%AC%EF%BC%AD%EF%BC%B5%EF%BC%A6%EF%BC%AA.jpg
中国MUFGの糸井部長と石さん

(船曳 鴻紅)

北京と上海という全く異なる街で(2)

上海万博を来春にひかえて・・・

上海万博は2010年5月1日から6カ月間開催され、200の国・地域・組織の参加があるようです。見込まれる来場者は延べ7000万人。万博史上かつてない規模だそうで、北京オリンピックは行けなかった日本人も相当数が訪れることになると思います、かく言う私も。

%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E6%94%B9%E9%80%A03.jpg

当然市内も開発に次ぐ、開発。上の写真は浦西地区(黄浦江河の西)で最も目抜きの通り准海中路ですが、一歩裏に入れば下の写真のような古い住居地区のスクラップが進んでいました。

%E4%B8%8A%E6%B5%B73.jpg

%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E6%94%B9%E9%80%A02.jpg

万博までに右手看板のようなマンションが立ち上がるのでしょうか。ところで日本の場合ですが、戦後東京の道路を始めとするインフラが一変したのが1964年の東京オリンピックでした。当時国家予算が1兆4千億円の時に、オリンピックのための関連事業費として費やされたのが1兆円だそうです。それに比べれば今回の上海万博は民間の開発が比率的には大きいので、国家的大事業という雰囲気はありませんでした。それだけ中国経済が巨大になったと言えます。

%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E5%8D%94%E4%BC%9A%E5%B0%8F.jpg
国際服装服飾センターも経営する上海ファッション協会

帰りに上海に寄ったのは、上海国際家具見本市をのぞくことと上海市の商務委員会にうかがうためでした。また中国に下請け工場視察に来ていた名古屋の絞り組合と一緒に、上海ファッション協会に訪問もしました。ファッション協会の手配して下さったのは、上海在住のJETRO専門家で協会理事でもある松尾さん。小中学校を上海で過ごし陸上で活躍した松尾さんは、子供時代からの友人関係から得られる幅広い情報が仕事の上でも大変役立っていると言います。上海のインサイド・ストーリーが語れる数少ない日本人の一人です。

%E4%B8%8A%E6%B5%B71.jpg

上海ファッション協会は上海でのショーや見本市の運営を主たる仕事としています。従ってメーカーサイドのことはあまりうかがえなかったのですが、単副秘書長は伝統工芸をファッションに取り入れたショーのことを話してくれました。ここ中国でも伝統工芸技術が継承されないことと、その衰退が問題とされていました。写真は広州のつづれ織りのような織物技術を残そうと試作されたバッグです。出口が見えていないのは日本の伝統産業の産地と同じでした。

ところで同じ日の午後、松尾さんからも上海経済の面で圧倒的な権限を持っていると聞いていた上海の商務委員会を訪ねました。すると現れたのは妙齢の女性官僚、金穎さん。突然のアポイントメントだったためとお忙しかったこともありますが、ともかくてきぱきと話を進められる。「それで・・?それで・・・?」というように、具体的な事業内容や規模が見えてこないと話にならない。北京が国家の体系を語るところならば、上海は完全に形而下のマネーの世界のように見えました。それが日本の80年代後半のように渦を巻いて回っているのでしょう。

%E5%95%86%E5%8B%99%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%EF%BC%88%E5%B0%8F%EF%BC%89.jpg
商務委員会は上海の西、虹橋空港に近いところに 右の女性の方が金穎副処長

商業開発で世界的に有名になったのは「新天地」です。古い工場後を香港の瑞安グループがUS1.5億ドルをかけて、面積3万平米で総建築面積6万平米の商業地区に再開発。2001年にスタートし、お洒落な飲食店を中心としてショップが並びます。以前来た時はかなり上海市民も物見高くやってきていたのですが、今はほとんどが外国観光客で占められていました。

%E6%96%B0%E5%A4%A9%E5%9C%B0.jpg

それに変わって、ほど遠くない「田子坊」はもっと気安く来れる場所として市民の間に人気を得ているようでした。1998年に地区政府の再開発計画によって、北京の「798廠」のように多くのアーティスト達が古工場や倉庫を改造してアトリエを構えるようになり、その後そういったギャラリーやショップだけでなく、この数年は急激にカフェなど飲食店も増えてきたようです。

%E7%94%B0%E5%AD%90%E5%9D%8A1.jpg

%E7%94%B0%E5%AD%90%E5%9D%8A3.jpg

%E7%94%B0%E5%AD%90%E5%9D%8A2.jpg

ちょっと裏原宿のような感じです。手作りのファッション商品が手頃値段で買える、若者にとって居心地良さそうなエリアでした。ここで感じるのは新天地はシンガポールっぽいけれど、田子坊は完全に中国だなということ。手仕事に対する愛着がまだ見られるのです。

(船曳 鴻紅)

2009年09月26日

上海浦東地区と国際家具見本市

浦東金融地区

%E4%B8%8A%E6%B5%B70.jpg

15年前に初めて上海に来た時には、この辺りの目立った建物としては一ヶ月前に建ったばかりの「東方明珠」ラジオテレビ放送タワーしかなく、後は安普請のアパートや店舗ビルだけでした。しかも数百メートル外に出れば、ここはアリゾナかと思うほど何もない大地が風に土埃をあげているだけ。以来、上海が世界の金融都市になるべく市の開発を浦東に集中させて、浦西にあった金融機関も半ば強制的に黄浦江を越えて移転させられたため、今は一大都市に発展しています。オフィスビルの他は数多くの高層マンションが建ち並びます。

特に陸家嘴区に集中する高層都市は自然発生的なものではなく、従って浦西と違って、浦東でのショッピング施設は専ら生活関連用品の商店と巨大モールになります。モールの規模は北米並みで、その中でも最大規模のモールは東方明珠タワーのすぐ隣にありました。

%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%96.jpg

mall5.jpg

中にはユニクロ(日本の価格と同じで高級ブランド扱い)やワコールが入居していて、ファンケルは最も知名度が高い日本製品でした。美肌効果のためでしょうか。また中国にあっても省エネを考えてのことか、全体に照明は落とし気味です。

mall4.jpg

まだ消費者の一部とは思いますが上海市民の健康志向も無視できません。写真下のような、寝具を始めとした健康グッズの店に幾組もの客が入っていました。

mall8.jpg

コンコースでは丁度日本の物産展も開かれていました。やはり日本食品は人気です。

mall6.jpg

mall7.jpg


森ビルの世界最高層(101階建/高さ492m)の「上海環球金融中心」にも行ってみました。オープンして丁度1年が経ったようですが、リーマンショック後の金融業界の動きは鈍く、まだ5割程度の入居率と聞きました。

%E6%A3%AE%E3%83%93%E3%83%AB2.jpg

%E6%A3%AE%E3%83%93%E3%83%AB3.jpg

さすがに展望台の方は観光客で賑わっていましたが、店舗フロアも閑散としていて、当面の苦境がのぞかれました。もちろん上海環球金融中心はそんなことはありませんが、一般的に中国のビルは建設費が抑えられているだけでなくメンテナンスにも金をかけないので、5年もすると設備の不具合が大きくなり、テナントはどんどん新しいビルに移っていってしまうのだそうです。と言うことは誰かがババヌキをする羽目になるということで、このところの過剰な不動産開発熱、投資熱には疑問を感じざるを得ませんでした。


上海国際家具見本市

上海では9~12日の間、40万㎡というビッグサイトの5倍の面積で国際家具見本市が開かれていました。来年の万博会場にもなる場所です。丁度同時期に家具生産地である東莞(25万㎡)や広州(16万㎡)でも家具見本市が開催され、これからのアジアにおける家具取引は中国でということになるのでしょうか。日本としては、この動きにどう対応するのか、対抗できるのか、詰めた議論が業界の中で必要となってきています。

%E5%AE%B6%E5%85%B7%E8%A6%8B%E6%9C%AC%E5%B8%821.jpg

%E5%AE%B6%E5%85%B7%E8%A6%8B%E6%9C%AC%E5%B8%822.jpg

%E5%AE%B6%E5%85%B7%E8%A6%8B%E6%9C%AC%E5%B8%824.jpg

国際家具見本市ですが出展しているのは9割以上中国企業、海外組も中国工場生産の家具を中国市場向けに出していました。欧州からはフランスだけでしたが、4社がまとまって出展。しかし本国生産のは1~2点ぐらいで後はすべて現地生産のものでした。

%E5%AE%B6%E5%85%B7%E8%A6%8B%E6%9C%AC%E5%B8%8211.jpg

%E5%AE%B6%E5%85%B7%E8%A6%8B%E6%9C%AC%E5%B8%82a.jpg

上の写真2枚は、中国のソファメーカーとしては最大のKUKA社のブース。中国メーカーはこの10数年ほど欧州ブランドメーカーのセカンドラインをOEMで作り続けてきたので、ソファぐらいだったら欧米の中級品に遜色ないもの(価格は2割以下)が生産できていると感じました。オフィス用などの金属椅子はまだ欧米、日本がリードしていますが。

%E5%AE%B6%E5%85%B7%E8%A6%8B%E6%9C%AC%E5%B8%828.jpg

夕方になりそろそろクローズの時間帯になってきたので、警備員が集合していました。今回の旅行では初めて、我々が持つ人民中国のイメージに遭遇できました。

(船曳 鴻紅)